カリスマの賞味期限

http://www.cyzo.com/2009/05/post_2048.html

ここでいう「笑いのカリスマ」としての松本人志は、
確かに自分の中でも10年前に終わっている。
今の松本のおもしろさは、ごっつの頃の100分の1程度だろう。



ただ、逆に言えば、それぐらい、あの頃のごっつのコントやガキのトーク
神がかっていたということでもある。
だから、そういう時代の彼を知っている人間から言わせてもらえば、
最近の「マッちゃんおもしろい〜」という程度のファンに
「彼の凄さをどれだけわかってるねん・・」という思いはある。

(その意味では、この文章で書かれているように、批判をしない訳ではない。
 むしろ、今の松本は大いに批判したい。)



ただ、一方で、それも、ある意味、仕方ないかなとも思っている。
なぜなら、それは、自分は、彼を「天才タイプ」だと思っているからである。

「天才タイプ」とは、自分は、計算で自分の才能を発揮できない人間と定義している。
これに対して、「秀才タイプ」は、
努力により、ある程度、自分の才能の使い方をコントロールできる人と定義し、
例えるなら、島田紳助なんかは「秀才タイプ」だと思っている。
彼は、客観的に自分を見ることができるタイプだ。



それに比べたら、やはり、松本は「天才タイプ」だと思う。
彼の才能は、幼少の貧乏生活、神経質な性格、左利きで画が得意という特性、
悪友達とのはちゃめちゃな青春時代、運動ができないコンプレックス、
理屈で全てを考えることができない、ほどほどの頭の悪さ
そして、浜田雅功という正反対の相方・・・
これらのパラメータが絶妙に混ざり合って、生まれた天才だと思う。



20代〜30代前半までの、思うように自分の「笑い」を理解してもらえず、
「なんとか自分の笑いをみんなにわからせたい」と思っていた
あのハングリーな時代の彼は、だからこそ、おもしろかったのである。


そういう意味で、彼の笑いは、彼の笑いが世間に認められると同時に
やはり、勢いを失ったと言っても、それはそれで納得できる。