カリスマの賞味期限

http://www.cyzo.com/2009/05/post_2048.html

ここでいう「笑いのカリスマ」としての松本人志は、
確かに自分の中でも10年前に終わっている。
今の松本のおもしろさは、ごっつの頃の100分の1程度だろう。



ただ、逆に言えば、それぐらい、あの頃のごっつのコントやガキのトーク
神がかっていたということでもある。
だから、そういう時代の彼を知っている人間から言わせてもらえば、
最近の「マッちゃんおもしろい〜」という程度のファンに
「彼の凄さをどれだけわかってるねん・・」という思いはある。

(その意味では、この文章で書かれているように、批判をしない訳ではない。
 むしろ、今の松本は大いに批判したい。)



ただ、一方で、それも、ある意味、仕方ないかなとも思っている。
なぜなら、それは、自分は、彼を「天才タイプ」だと思っているからである。

「天才タイプ」とは、自分は、計算で自分の才能を発揮できない人間と定義している。
これに対して、「秀才タイプ」は、
努力により、ある程度、自分の才能の使い方をコントロールできる人と定義し、
例えるなら、島田紳助なんかは「秀才タイプ」だと思っている。
彼は、客観的に自分を見ることができるタイプだ。



それに比べたら、やはり、松本は「天才タイプ」だと思う。
彼の才能は、幼少の貧乏生活、神経質な性格、左利きで画が得意という特性、
悪友達とのはちゃめちゃな青春時代、運動ができないコンプレックス、
理屈で全てを考えることができない、ほどほどの頭の悪さ
そして、浜田雅功という正反対の相方・・・
これらのパラメータが絶妙に混ざり合って、生まれた天才だと思う。



20代〜30代前半までの、思うように自分の「笑い」を理解してもらえず、
「なんとか自分の笑いをみんなにわからせたい」と思っていた
あのハングリーな時代の彼は、だからこそ、おもしろかったのである。


そういう意味で、彼の笑いは、彼の笑いが世間に認められると同時に
やはり、勢いを失ったと言っても、それはそれで納得できる。

とんねるず と ダウンタウンの違い?

こんな90年代の彼らの特性を一言で言うならば、
「シニカルなチンピラ」というのがぴったりだと自分は思っています。


「チンピラ」というのは、前述のような破天荒な所をさすわけですが、
当時彼らがテレビでやっていた半分は、
後輩をいじめたり、他のタレントの悪口をいったり、と
正直、尼崎のチンピラがやっていた「おもろい」ことを
公共の電波を通してやっていたに過ぎなかったと思います。

が、それでも、その破天荒さが、あの時代の一部の若者には痛快に写ったのも事実で、
このモラル関係なしの破天荒さが、彼らのカリスマ性を生んだ一因だとも思っています。




ただ、その破天荒な一面だけだったら、
ある意味、彼らとよく比較される「とんねるず」も同じと言えるかもしれません。
しかし、彼らと「とんねるず」には、大きな、そして正反対の違いがあるのです。


それは、同じ破天荒でも、


とんねるずは、
 「体育会系」「さわやか」「前向き」「ポジティブ」 なのに対して


ダウンタウンは、
 「文化部系」「シニカル」「後ろ向き」「ネガティブ」 なのです。



ここが、ダウンタウンが、これまでの破天荒なタレントとは、全く異なる点でした。
これまでも破天荒なタレントは、たくさんいたと思いますが、
彼らは、唯一、シニカルでネガティブな破天荒さをもっていたのです。


歌をだすにしても、とんねるずは、芸人でありながら、さわやかでかっこいいです。
しかし、ダウンタウンはといえば、
「明日になんかならなければいいのに」とか「体がだるい」とか、
一見さわやかに見えるオジャパメンにしても、
あの真意は、単に、韓国のアイドルをバカにしているに過ぎないのです。



(ちなみに、このシニカルな側面こそが、
 ダウンタウンのファンに、意外とインテリな文化人が多い
 理由になっているのではないかと自分は思っています。)





このように、かつていなかった「シニカルなチンピラ」は、
「かっこつけ」の時代に飽き飽きしていた社会の風潮にうまくマッチして、
90年代という、本音をぶち壊す時代を作ったのだと、
その意味で、やっぱり、ダウンタウンは革命的だったと自分は思っているのであります。


ダウンタウンのごっつええ感じ』の魅力を振り返る
http://allabout.co.jp/entertainment/varietyshow/closeup/CU20051128A/index2.htm









90年代、やっぱりダウンタウンは革命的だった?

今度は、松本人志の「笑い」という角度からではなく、
ダウンタウン自身の「存在」という角度から書いてみます・・。



90年代、ダウンタウンは、やっぱり革命的だったと思います。
では、どう「革命的」だったか?それを、大雑把にいうなれば、
彼らは、とことん、社会のタテマエをぶっ壊してきた、
という意味で革命的だったと思うのです。


80年代〜90年代のバブル期を、これまた大雑把に例えてしまうならば、
この時代は、非常に「かっこつけ」の時代だったと自分は思っています。

そんな「かっこつけ」の風潮が続いている時代において、
彼らは、そういった風潮をあざけ笑うがごとく
本音でもって、"タテマエ"をぶっ壊していったのです。



例えば、客にこびる漫才をやめ、相方にも本音でツッコム
その漫才のスタイル(つまらなかったら相方でも突き放すスタイル)は
非常に斬新でした。
それまでの漫才が、どちらかというと、前のめりになって
客と一緒に盛り上がるスタイルだったのに対し
彼らは、一歩ひいて、客と対等、もしくは、上からの位置から漫才をおこなったのです。
また、今では当たり前のように多くのタレントが言っている
「この部分、カットね!」とか「生放送だったら・・」とか
テレビの裏側を平気で暴露するような風潮も、彼らが作ったと思います。


さらに、コントでも
一般に"行儀正しい"と思われるような料理番組の設定で
性的なイメージのまったくないはずの料理の先生が、めちゃくちゃなことをてみたり、
ヒーローもののコントでは、ヒーローが必要以上に情けなかったり(そこがリアル!)
いじめていた河童が逆にいじめられて泣きそうな顔になったり、
簡単に言ってしまえば、「ブラック」で「シニカル」なんだけど、
とにかく、人間の裏側、本音、陰気な部分を彼らは、描いていったのです。
そこには、尼崎で育った彼らの
「現実ってのは、そんな爽やかなもんばっかじゃないんじゃい!
 もっとドロドロした、陰気な部分もあるんじゃい!」
というメッセージが含まれているかのようでした。


(もちろん、彼らは、そのことに自覚的ではなかっただろうけど。)




その他にも、いわゆる大御所芸人にもこびずに頭をたたいたり、
とにかく、彼らが本音で、"タテマエ"なしでやりたい放題やる様は、
「かっこつけ」をすることにそろそろ疲れてきた社会に、非常に痛快に写り、
その反動となる大きな時代の流れを作ったのだと思います。


ちなみに、もう1人、この時代を作った人を挙げるなら、
それは、久米宏だと自分は思っています。
彼もまた、ニュースという世界のタテマエをぶっ壊していった一人だと思います。



(つづく)

松本人志は、天才なのか?

question:1227933866

ダウンタウン松本人志が何故「天才」と呼ばれるのか教えてください。
 面白い芸人ではあると思うのですが、コントにしてもトークにしても世間での
 「他の芸人とは一線を画している」等と思えた事がありません。
 象徴的なエピソードでもネット上の動画でもかまいませんので宜しくお願いします。」

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「天才」と呼ばれるには、いろいろな理由があると思いますが、
その一番わかりやすい例は「写真で一言」で見られる松本の発想でしょう。

「写真で一言」とは「一人ごっつ」などで行っていた、写真をみて即興で
それにおもしろい一言をつける芸です。

おそらく、これをみて「凄い」と思われる人が、松本の言う「笑い」を理解できる人で、
松本のことを「天才」だと思える人なんだと思います。

そして、また、この「笑い」こそが
90年代の松本の「笑い」の真骨頂だと自分も思っています。




松本自信、自分の笑いについて、
「自分の笑いは想像力で笑う"笑い"であって、
 言われた言葉を一度、噛み砕いて、頭の中で想像してから笑う笑いである」
と言っています。


実際、彼のコントは非常にビジュアル的で「記号」的でした。
外国人に関西弁をしゃべらせるような「笑い」は、今やCMなどで一般的ですが、
当時は、非常に珍しく、彼は、この「記号」のズレ(想像上のギャップ)を
「笑い」にする技法をさかんに使い、
この想像力での「笑い」を世間に浸透させました。


(ちなみに、このような松本の想像力に訴えかける「笑い」を
 当時、立川談志は「イリュージョン」と評していました。
 また、このような「笑い」は、今では、若手芸人の間でも多用されています。
 モンスターエンジンの「神々のコント」なども、この性質に近いと思っています・・)



ただ、このような「笑い」が当時、すぐに一般の人に理解されたかと言ったら、
なかなかそういう訳にはいかず、松本自信、苦労したようです。
そのため、このぐらいの時に彼は、特に
「笑いにはレベルがある!」ということをさかんに言っていたのだと思います。
(この大口は、その後、彼が世間に認められるにしたがって減っていきます。)




思うに、松本のこの天才的発想は、
彼の漫画好きな所、彼が左利きな所、そして、彼が内向的な性格だったこと
から育まれたのだと思います。

彼のコント、そして、発想は、いつもビジュアル的です。
そして、その発想を「言葉」という記号に置き換える技術を
漫才を通して、後天的に学んだと思うのです。


「サブイ」「空気」「へこむ」という彼が一般に浸透させた独特な表現も
社会の雰囲気をうまくビジュアル的に言葉にはめこむことができる、
彼の才能がさせた技だと思います。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2758373



(あ、それから、HEY HEYなどでのアーティストにつける「アダナ」も
 非常にビジュアル的ですよね。)




(つづく)